伝統の鳶(仕事師)とは
伝統の鳶について
「仕事師」として
私たちは、鳶の職人として、
自分たちの仕事に誇りを持つために
自らをそう呼びます。
突然の質問になってしまい恐縮ですが、
鳶(とび)という呼び名のイメージを皆様はどうお持ちですか?
「足場や高所を飛び回る職人」
もしそう思われているなら、少し私の話しを聞いていただきたいのです。
鳶の歴史
鳶という仕事が明確に生れたのは江戸時代。
大工や左官といった家を作る職業として発展を遂げました。
今でこそ、様々な建設業が細かく分けられていますが、当時の住宅は
大工・左官・そして鳶がいれば完成させることができたのです。
そして、鳶の人間が建設の現場と同じかそれ以上にもてはやされたのは、火消しとしての役割においてでした。
皆様がイメージする「江戸の火消し(町火消し)」は、鳶の職人たちが担っていたわけです。
鳶 = 仕事師
江戸の鳶たちはそれぞれ「〇〇組」と町内会のように区画で、担当エリアが決まっていました。
そのため、その町内のもめ事の仲裁、冠婚葬祭の差配など「顔役」として
地域に根差していったのです。
それが発展していった先に、
あらゆる町内の問題を解決する、仕事師としての鳶が誕生したのです。
私たち杉山組は、江戸鳶の文化と誇りを茨城に継承しています。
地元の方々の困った!を、あの手この手で解決する
そんな頼れる仕事師で、これからもあり続けます。